んげです。
それは今から8年ほど前のはなし。
当時私は、新築住宅の営業職だった。毎日22時過ぎまで残業。半分ブラック企業に勤務していた。
同僚のK君に「マラソン大会に出ないか」と誘われて、あんまり気が乗らなかったが毎日仕事でつまんなかったのでたまには良いかとOKした。
5Kmのコースよかったのだが、「出るなら10km!」と謎のテンションに後押しされ10kmにエントリ。
練習
一緒に参加したのはKとNという同僚二人。あとKの彼女も参加したのかな?
当時全く運動をしていなかった私は、練習しないとヤバいと思いつつ毎日8時に出社して22時まで残業の生活で、ランニングに行く時間などなかった。
結局ほとんど練習せずに当日を迎える。
ま、高校自体は結構マジな運動部だったから何とかなるだろうと謎の自信はあった。
当日
朝早く起きて、会社によって、顧客の図面の作成依頼を発注先の設計事務所にFAXしてから会場へ。朝飯は車の中でおにぎりを食べた。
開会式を終えてスタート。
参加者がたくさんいて結構ワクワクするイベントだった。
マラソン大会は6月、梅雨入り前だったのでそんなに高温ではなかったが蒸し暑い日だった。
スタート
スタート、Nは元サッカー部でいまもフットサルをしている様で快調に走っていく。
Kは彼女とゆっくり走るようだ。
練習もしてない私はペースがわからず、周りに合わせて走る。。。
これが間違いだった。
1kmもしないうちにかなり苦しい・・・
たいぶふらふらになって走る。
ぶっ倒れる
何キロ地点かわからないが、(私は5kmだと認識してたが後に3Km地点といわれた)給水ポイント発見。
TVで見るマラソンランナーのように、走りながら紙コップをパッと取ったはずだった。
が、足がもつれて倒れた。
ここまでは記憶があるのだが
気が付く
気が付いた。後ろから来たKが「んげさん!大丈夫??」と声をかけてくれた様子。
私は木陰で寝せられて居た。
「大丈夫」と答えた記憶はあるが、そこからまた気を失ったらしい・・・
ふたたび気が付いたのはCCU
気が付いたのはCCUのベッドの上。CCUは心臓疾患の集中治療室。
母親から声をかけられて目が覚めた。親と妻と長男がいた。おそらく夕方4時ごろだった。
親に自分の身に何が起きたか覚えているかと聞かれたが、何が起きたか理解できん。
熱中症で倒れて救急車で運ばれたんだ、聞いてやっと事態を理解する。
体にはいくつか管が刺さっている。
オムツを履かされ、ちん◯には排尿用のチューブが…。病院の浴衣?みたいなのを着せられていた。
処置
どうやら、Kに声かけられて目を覚ましたがまた気を失い痙攣しだしたそうだ。
誰かが救急車を呼んでくれて搬送されたとのこと。Kが救急車に乗ってくれた。
最初、会場近くの総合病院に搬送されたそうだが、想定以上に深刻な症状で集中治療室のある山形市の大きな病院に搬送されたそうだ。
後ほど先生に聞いた話では、体温、血液温度が異常なので半解凍の成分輸血で血液を冷やし、氷を胃に流し込み、ドライアイスで太い血管の近く(腋の下、内腿、首筋など)を冷やしたそうだ。
ドライアイスを当てられた箇所の肌は凍傷でうす茶色く変色していた。
凍傷の跡は消えないかもしれませんと言われた。随分乱暴な処置だなとw思ったが、助けてもらったからの文句は言えない。
実際命を落としかけるほど危険な状態だったらしい。
実際、同じマラソン大会で私の他にもう一人熱中症になった方がいて、その方は別の病院に搬送されたが命を落としたらしい。
入院
救急車で運ばれてから二日間くらいCCUに居たのだろうか。
2~3日は37.5℃くらいの熱が続いた。重度の熱中症の後遺症なのか?
それと、体が痛くて動かせない。全身筋肉痛のような痛み。いや筋肉痛のもっと痛いヤツ。先生の話では、「全身の筋肉の組織が熱で破壊されている。筋肉痛と同じ症状」なのだそう。特に下半身。筋肉痛と同じで自然回復するが時間がかかる。
のようなことだった。
2日くらいでマジの集中治療室(用語は知りませんが常に医療スタッフがいる部屋)から出て、病室へ。隣の患者が睡眠時に呼吸が止まらないようにする機械をつけているとのことで、夜中に「ブゴー」と音が出ている。寝れん!!!
あと、体温が高く常に汗が止まらない状態・・・
会社の人がたくさんお見舞いに来てくれたが、ありがたい反面そんなに何回も来なくていいよって思ってしまう。こちとら満足に体が動かせず長い時間他人と会うのもきついんだって。。。
一般病棟へ
一般病棟へ移り、入院生活。
たて続けに親族とか会社の人とかお見舞いに来てくれた。
友人の奥さんが同じ病院で出産したらしく、友人に私が入院してるのが知れる。
友人がグループメールで仲間に知らせてくれたが、私はお見舞いは遠慮する旨のメールをみんなにした。正直、体力が無く、全身痛いし、人と会うのがキツイ。
徐々に体を起こす練習(リハビリ?)をして歩く練習をする。
マジで体が痛くてまともに歩けない。おじいちゃんみたいなよろよろ歩き。
よくわからないが筋肉組織の数値が平常に戻らないと退院できないとのことで、数日に一回血液検査がある。
担当の先生も重篤の熱中症患者は初めてとのことで海外の論文をよんでいろいろ調べてくれているようだが、入院して治るのを待つしかないらしい。
もう命の危険はないので、ナースセンターから遠い病室に移動になる。
入院生活
お見舞いを断ったが、入院時の日記をみると友人が結構見舞いに来てくれていた。
漫画やPSPを持ってきてくれて暇つぶしし出来ていた。
とはいっても一日中ベッドの上で退屈だった。
立ち上がれるようになり、歩く練習をして、病院の売店くらいまで一人で行けるようになっても、例の血液検査の数値が下がらず退院できない。
入院中の病院の食事は、そんなにまずいものではなかった。
もちろん健康に配慮されていただろうし、食事制限もなかったのでお見舞いでいただいた食べ物は食べれたので苦ではなかった。
しかし、夕飯で出る塩味の汁?(みそ汁ではない)塩味のすまし汁。うすい味付けの汁が非常にいただけなかった。塩分の摂取量のかんけいなのか、朝は和食の場合みそ汁がでるが、夜はそのおつゆなのだ。
昼飯に牛丼が出た時があって、美味しかったのだが飯のタイミングで会社の上司がお見舞いに来て、食ってるのを見られてるのがすげえ苛ついたのを覚えている。
退院
当初一週間の入院といわれたが、二週間に伸び、数値が下がらないとかで結局一か月入院した。
退院しても満足に体が動かせる状態ではない。動きがぎこちない状態での退院だった。
体重は10kgくらい減った。すごいな病院食!
退院後、何回か病院にかよって経過観察があったが特に問題ないかった
あと特に後遺症というものはないが、汗をかきやすくなった気がする。
あと家族にマラソンとか絶対するなと言われる(笑)自転車(ロードバイク)は普通に乗りに行くが行先を告げるように言われる。
まとめ
というわけで、熱中症で死にかけた話でした。
この時期になると毎日のように「熱中症で〇名病院に搬送」とかもっとひどいと亡くなるニュースとかが流れるが、本当に死にます。
私も入院してからは水分補給を心掛けるようにしています。
んだらば!